「よみがえる三島由紀夫展Ⅱ」(二〇〇九年三月)は三島の直筆草稿「批評に対する私の態度」が書かれた経緯を探った。
三島はこの前年に「愛の渇き」「青の時代」を発表し、当時は「禁色」を雑誌「群像」に連載中だった。
まず、発端となったのは昭和二十六年「文學界」六月号での大岡昇平と三島由紀夫の対談「犬猿問答―自作の秘密を繞って―」であった。
批評家への注文
大岡「……批評家はもつと技術批評をやつてくれればいいと思うんですが、どんなものでしょう。」
三島「知らないから無理ですよ。自分で小説書かなければ解らないもの。」
この三島の発言が波紋を呼び、特に評論家の亀井勝一郎が昭和二十六年六月二日の「東京新聞」で猛烈に反発した。
批評の確立のために
―小説中心主義を排撃す― 龜井勝一郎
「わづか三四年ばかり小説を書いて、すこし流行すると、たちまち近ごろの批評家は、などと玄人めくのは、やはり小説中心主義に毒されてゐるのであつて、この対談自身、おしやまなものである。そのうち技術批評を大いに活用して、木っ葉ミヂンにしてあげよう。」(「木っ葉ミヂン」は原文のまま)
亀井は同紙で、翌六月三日、翌々四日と文学界、出版界へ更に苦言を述べている。
そして、同年「中央公論文藝特集」第八号で亀井と三島との直接対決となった。
「論争『批評家に小説がわかるか』」の総タイトルがあって、まず亀井の原稿がある。
小説に對する私の態度 龜井勝一郎
「大岡氏にしても三島氏にしても、天分あり努力家でもあるが、おしやまで小まちやくれた感じを與へるのは何故であるか。」
「つまり小説の讀み方は自由自在なのであり、自由自在にどう判讀されても致し方ないのが小説家といふものである。それは彼の意識を越えたことだ。御本人の思ひも及ばぬ、全く別個の幻想を浮べたつて差支へないわけである。」
亀井の語調はなお衰えていない。
そのあとに、三島の表題の評論がある。
批評に対する私の態度 三島由紀夫
「念のために書いておくが、この文章は、『小説に對する私の態度』と題する龜井氏の文章を原稿で拝見した上で、書いてゐるものである。龜井氏は虚心坦懐に書いてをられ、私はそれを氣持よく讀んだ。」(末尾の「讀んだ」は「拝見した」と書いたのを訂正している)
「大體私は批評といふ一ジャンルの存在理由を疑ってゐる。直感的鑑賞と自己批評(乃至は自傳乃至は告白)との中間地帶の存在理由を疑つてゐる。文體をもたない批評は文體を批評する資格がなく、文體をもつた批評は(小林秀雄氏のやうに)藝術作品になつてしまふ。なぜかといふと文體をもつかぎり、批評は創造に無限に近づくからである。」(文中の()は原文のまま)
「一等犯しやすいあやまちは、行爲を批評するのに趣味を以てすることである。何故かといふと、小説が技術の集積として見られるときに、その技術の内的體驗に觸れることのできない批評家には、趣味の尺度しかなくなつてしまふからである。」
この時、三島由紀夫は二十六歳、小説家の大岡昇平は十六歳年長の四十二歳、評論家の亀井勝一郎は十八歳年長の四十四歳であった。三島の、文壇の先輩とも対等であろうとする自負心がうかがえるとともに、批評と小説の、言葉に対する厳密で潔癖な姿勢が注目される。
これで論争は一応終息したように見えたが、その後日談がある。
三年後の昭和二十九年十二月に、三島の「潮騒」が第一回「新潮社文學賞」を受賞した。「藝術新潮」の翌年一月号には、三島の〈受賞者の言葉〉と、河盛好蔵、神西清、川端康成、中村光夫、河上徹太郎、中島健蔵、小林秀雄らとともに審査に当たった亀井勝一郎の〈選後評〉も載っている。
受賞について 三島由紀夫
(冒頭部分)
「こんな憎まれつ子は、一生賞などもらへないものと思つてゐたのに、受賞の話をきいてほとんど信じることができなかつた。これからは大いに健康に氣をつけて、せめて御木本翁ぐらゐには永生きをして、書いて書き抜くほかに、諸賢の御厚誼に報いる道はないと思ふ。」
〔選後評〕 龜井勝一郎
「三島氏は憎まれやすい作家だから、今後授賞のことなどめつたにあるまいといふ説が出たりして、いよいよ困つた」
亀井は微妙な言回しで三島の授賞を是認している。
更に翌三十一年、「金閣寺」が「一九五六年ベスト・スリー」に選ばれた。同年十二月二十五日の「讀賣新聞」の夕刊では、荒正人、伊藤整、臼井吉見、亀井勝一郎、河盛好蔵、高橋義孝、平野謙、本多顕彰、山本健吉、吉田健一の十人すべてが『金閣寺』に一票を投じ、これをまとめた中村光夫も、〈古典の風格〉と高く評した、と報じた。
隠し文学館花ざかりの森は、今後とも三島の著作を当時の文壇の状況の中で捉えるため、周辺資料の収集にも努めていきたい。
(館長 杉田欣次)
主な参考文献資料等
○「文學界」 (一九五一・六・一) 文藝春秋社
大岡昇平と三島由紀夫の「犬猿問答」を所載
○「東京新聞」(一九五一・六・二/朝刊の写し)
亀井勝一郎「小説中心主義を排撃す」掲載
(東京都立中央図書館提供)
○「批評に対する私の態度」(一九五一・六・一〇)
三島由紀夫直筆草稿・中央公論文芸特集分/当館所蔵
原稿用紙のサイズは二五〇×三五三㎜、筆記用具は万年筆(太め、濃紺のインク)。原稿は九枚完結。
○「中央公論文藝特集」第八号(一九五一・六・二五)中央公論社
三島由紀夫「批評に対する私の態度」所載
○「藝術新潮」一月号(一九五五・一・一)新潮社
第一回「新潮社文學賞」〈受賞者の言葉〉〈選後評〉所載
○「讀賣新聞」(一九五六・一二・二五/夕刊の写し)
「一九五六年ベスト・スリー」掲載
(国立国会図書館提供)
全国文学館協議会 紀要三号 (二〇一〇年三月三十一日発行) 寄稿
※「紀要」は縦書きですが、都合により横書きしにてあります。 |